【ベルリンの壁】とは?建設〜崩壊までをわかりやすく解説
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ドイツのことをよく知らない人でも聞いたことがある「ベルリンの壁」。

 

授業で習ったんでしょうがまったく記憶にない僕は、ベルリンに住み始めて歴史を学習し直しました。

 

アウトプットの意味も込めて、ベルリンの壁はなぜ建設されたのか?そして崩壊はいつどのように起こったのか?できる限りわかりやすく解説します。

ベルリンの壁とは

ベルリンの壁とはなんなのか?順を追って解説します。

ベルリンの壁の概要

ベルリンの壁は、1961年8月~1989年11月9日までベルリン市内に存在した、ベルリンを東西に分断するために建設された壁です。

 

全長約155キロ。現在も壁の一部は残っていて、ベルリンで人気の観光スポットとなっています。

【ベルリンの壁】とは?建設〜崩壊までをわかりやすく解説

 

ちなみに場所は、ベルリンの壁ではなく【イーストサイドギャラリー】というところ。

ベルリンの壁は何のために建てられたの?

ベルリンの壁建設の目的は「市民の亡命防止のため」。市民を閉じ込めるための壁です。

 

ドイツは第二次世界大戦で敗戦し降伏します。そして、アメリカ・フランス・イギリス・ソ連の4カ国に分割占領されます。その後アメリカ・フランス・イギリスの3か国とソ連が対立。

TERUO MATSUBARA

 

↑の通り、ドイツを東西に分けて、さらにベルリンも東西に分けています。アメリカ・フランス・イギリスの3か国で西側。ソ連が東側。

 

西ベルリンは経済成長著しく、旅行も自由でナイトクラブもあり、高級車も多数走る生活のしやすい環境。一方東ベルリンは、ソ連に持ってかれるばかりで食料は配給制度が残る貧しい環境。

 

東ベルリンの住民は華やかな西ベルリンでの生活に憧れて、亡命者が後を絶たない状況に。亡命者数は1945年~1961年の間で約350万人(東ドイツ人口の約20%)。

 

ソ連はせっかく勝利して手に入れた土地からどんどん人が出ていくのが嫌です。特に25歳以下の若い層や医者や技術者などの頭脳流出が目立っていたため、東ドイツは危機的状況。

 

1961年時点で東ドイツの人口は約1,700万人に対し、西ドイツは約6,000万人。

 

西ベルリンを一周壁で囲んでしまって、亡命できないようにしてしまおう」とベルリンの壁が建設されました。

ベルリンの壁建設計画

ベルリンの壁の建設は1961年8月13日の午前0時スタート。人員は民間の工場で働く市民含む4万人。

 

バレないようにたった一晩で建設する超トップシークレットの計画だったようです。当然市民は建設情報を事前に知らないので、叩き起こされて参加。

 

朝6時までの6時間で壁を完成させたようです。壁と言っても、この時はコンクリートの壁ではなく有刺鉄線のバリケードのようなもの。

 

壁建設の知らせを聞いた当時アメリカ大統領のジョン・F・ケネディは、特に何もせず。この時の対応次第では、第三次世界大戦になった可能性もあったと言われています。

ベルリンの壁建設後の生活の変化

ベルリンの壁の前には、銃を持った東ドイツ兵が壁の周りを常に警備。

 

亡命しようとする人へは容赦なく発砲・射殺が許可されており、亡命を試みた588名もの市民が射殺されました。

 

基本的に東西の行き来は禁止ですが、葬式など理由によっては通行が許可されたよう。突然家族や友人・恋人と会えなくなってしまった人はごまんといます。

 

東側の人々にとっては「国家という名の牢獄」と言われた社会主義生活です。

 

そんな中、勝手に壁を建設した東側は、65歳を超えたら西側に行っても良い(年金を支払う必要がなくなるため)、アル中と精神疾患者は西側に行っても良いとしていたという話もあるようです。

ベルリンの壁崩壊

1989年11月9日、ベルリンの壁は突如崩壊の時を迎えます。この崩壊は計画されたものではなく、突発的な出来事だったとして有名です。

 

エーリッヒ・ホーネッカー(この人がベルリンの壁建設の責任者)という、東ドイツの社会主義推進者であり最高指導者が失脚。

 

新政権では「これからは東ドイツ国民は特別な理由・許可なく出国OKです」としたが、いつから有効な話か知らなかった広報担当者が「私の認識では、ただちに。遅滞なく。」と発言したことが報道され、報道を観た国民が国境検問所に殺到し、みんなで壊して崩壊に至ったわけです。

 

翌年1990年10月3日に東西ドイツは統一されて現在に至ります。

 

エーリッヒ・ホーネッカーは、「ベルリンの壁は向こう100年は残り続ける」と発言していたようなので、上に立つ人が違えば未だに壁は健在で、東西ドイツに分かれていたのかもしれません。

ベルリンの壁に描かれる有名な絵

ベルリンの壁観光の記録

 

ベルリンの壁に描かれる数ある絵の中でも、特に有名なのはコレでしょう。

おわりに

ほんの一昔前までは負の象徴で見たくもない存在だったベルリンの壁が、今は歴史の象徴として見たい存在に変わり、観光客を魅了する存在になっているのは不思議なものです。

 

「壁をすべて撤去してしまえ!」と思う人も当然いたと思うんです。良い思い出なんかないわけですから。

 

でもすべて撤去はせず、残った壁にイラストを描いて、見世物にする。結果現在までにドイツの観光産業に大きく貢献しているんですよね。

 

ネガティブも考え方や使い方次第でいつかポジティブに変えることができるということでしょうか。歴史を知ると見え方が変わると痛感したベルリンの壁でした。

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